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アウシュビッツ強制収容所

8月14日(日)

今日はポーランドへ来た最大の目的である、アウシュヴィッツ強制収容所の見学に行く。


バスターミナルでアウシュヴィッツ行きのバスチケット購入。【13ズウォティ(約705円)】

8:25、クラクフ出発。
10:00、国立オシフィエンチム博物館(アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所)到着。


<国立オシフィエンチム博物館(アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所)>
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによって多くの人々が収容され、そして虐殺された(ホロコースト)場所を、当時の品々や写真とともに公開している博物館。
第一収容所(ドイツ語名:アウシュビッツ、ポーランド語名:オシフィエンチム)、第二収容所(ドイツ語名:ビルケナウ、ポーランド語名:ブジェジンカ)がある。
負の世界遺産。
【日本語ガイドツアー:40ズウォティ(約1,090円)】



<ホロコースト>
大量虐殺。特に第二次世界大戦中にナチス・ドイツがユダヤ人に対して行った大量虐殺を指す。

ヒトラーはユダヤ人に対して強い嫌悪感を抱いていた。ドイツが不況に苦しんでいるのはユダヤ人のせい(ユダヤ人が株価を操作した等)であるとし、優秀なアーリア人を下等民族であるユダヤ人から守るため、ユダヤ人を粛清しなければならないと訴えていた。
1933年、ヒトラーを党首とするナチス党が政権を握ると同時にユダヤ人に対する迫害が始まった(ジプシー、身体障害者、同性愛者なども社会不適合者として迫害された)。
当初は社会的権利の剥奪や強制移住のみであった迫害も、次第にエスカレートし、第二次世界大戦突入後はアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所のガス室で大量虐殺を行うに至った。
虐殺された人数は150万人から400万人とも言われている(これ以外の数字を挙げる研究者もいる)。

南京大虐殺と同じく、「ホロコーストは存在しなかった」と主張する”ホロコースト否認論”も存在する。



僕は2日前に、この博物館で唯一の日本語ガイドを行なっている中谷さんという方に、メールでガイドツアーの予約しておいた。
中谷さんとは、アウシュヴィッツについての本を何冊か出しているくらい、アウシュヴィッツについてとても詳しい人。



指定された通り博物館の入口に行くと、同じ日本語ガイドツアーの参加者の日本人が何人かいた。

10:20頃、中谷さんが現れ、料金を支払い、ガイドツアー開始。
参加者は全部で14人。


参加者はヘッドフォンを付ける。ガイドの声はそこから聞こえるようになっているので、ガイドから離れた場所にいても説明がしっかり聞こえる。これはいい。







最初に見えてきたのは正門にある”ARBEIT MACHT FREI”という文字。これは”働けば自由になる”という意味。もちろんこれは大嘘で、この門をくぐったら最後、どんなに働いても自由にはなれない。

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このプレートはここに収容された人の手によって作られた。
”ARBEIT...”の”B”の文字が上下逆さになっている。これは、これを作らされた人のせめてもの抵抗であると言われている。





門をくぐると、いくつものバラック(小屋)がある。ユダヤ人達はここに収容されていた。

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今はここが博物館になっている。





ガス室に投下されたチクロンB(シラミ駆除用の殺虫剤)の空き缶。

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ドイツから売られた金や銀の領収書。

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この金や銀は、遺体から金歯や銀歯等を剥ぎ取り、延べ棒に加工して売られた。
買った方はそれが遺体の歯から作られたものだとは知らなかった。






スーツケース。

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「一旦預かるだけで、後日返却する」と言われていたので、自分のものだと分かるように名前が書いてある。
もちろん返却されることはなかった。






メガネ。

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靴。

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収容者が着せられた服。

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収容した人に囚人服を着せたり、劣悪な環境に置くことによって、管理する側の人間に「こいつらはこういう扱いを受けなければならない人間なんだ」という感情を抱かせ、罪の意識がなくなるようにした。管理する側の精神的負担を軽くする目的があった。

収容された人の中でも、髪を切られる人と切られない人、食事を与えられる人と与えられない人などの差があった。これは、人によって差を付けることによって「しっかり働けば今より待遇は良くなる」と思わせたり、「なんであいつだけが特別扱いなんだ!」という感情を抱かせ、連帯意識が芽生えないようにしていたためだと言われている。






トイレ。

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他にも、収容者がガス室で殺害される様を描いた模型や、虐殺の現場を描いた絵、大量の遺体を焼却している所を隠し撮りした写真、収容時や殺害後の遺体から切られた大量の髪(撮影禁止)なども展示されていた。







今日は第一収容所の奥の方でミサが行われていたので、そっち側は見学出来なかった。

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ガス室に向かった。

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内部。

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この穴からチクロンBが投下された。
今はもうないが、昔はここの壁に苦しむ人達によって付けられた爪痕が無数にあったらしい。




すぐ横に焼却炉がある。

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ガス室で殺され、すぐ横の焼却炉で焼かれる。実に効率的に・・・。
遺体の灰は肥料として使われたとも言われている。









無料のシャトルバスに乗って第二収容所へ向かった。
5分ほどで到着。




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第二収容所はとても広く青々とした緑が広がっていて、天気も良かったせいもあり、とても”綺麗な景色”だった。
70年前も天気のいい日はこんなに綺麗な景色だったんだろうか?






この収容所には敷地内にまで線路が敷かれている。
そしてそれはこの収容所内で途切れている。

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第二収容所のバラックは第一収容所よりも環境が酷い。

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トイレ。

0821.jpg







第二収容所にあったガス室はソ連軍が侵攻してくる前に、証拠隠滅のため破壊された。

0822.jpg







13:15、ガイド終了。

その後、第二収容所を1人で見て回った。





イスラエルの修学旅行生のような団体がいた。

0823.jpg


彼らはいつも、これみよがしにイスラエスの国旗を振りかざしながら見学に来るらしい。






第一収容所へ戻り、15:00になるのを待ってから、また中に入った。
15:00まではガイドツアーの参加者しかなかに入れないが、それ以降はガイドなしでも入れる。しかも無料。





ミサが終わっていたので、午前中はミサで入れなかった所に行った。



死の壁。

0824.jpg


奥の壁が”死の壁”。
死刑を言い渡された人がこの壁の前で銃殺された。






約1時間見学した後、博物館を後にした。









この博物館の年間の日本人の訪問者は約7,000人。韓国人は約50,000人。
もっと日本人にも世界で起こった出来事に関心を持って、実際に足を運び、自分の目で見て、その出来事について考えて欲しいと中谷さんは訴えていた。




当時のドイツは世界でも1、2位を争うほどの高度な文明を持っていた。にもかかわらず、国家がこのような凄惨な事件を起こした。そして誰もそれを止めることは出来なかった。
現代にも人種差別は未だ存在する。
どれだけ高度な文明を持っていても、悲惨な事件は起こり得る。




中谷さんのこの言葉がとても印象に残った。

「ノルウェーのオスロでの事件(約3週間前に発生)は、我々歴史を伝える仕事をしている者にとっての敗北です」

人種差別によって過去にこれだけ悲惨な事件が起こったということを伝えることによって人種差別の愚かさを訴えてきたのに、今また人種差別による悲惨な事件が起こってしまった。




いつか必ず勝利する日が来ると信じたい。









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テーマ : 世界一周
ジャンル : 旅行

tag : ポーランド.04-アウシュビッツ強制収容所

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プロフィール

takoyaki

Author:takoyaki
生年月日:1983年5月12日 
性別:男

2010年10月10日改め2010年10月14日から2年間の世界一周の旅に出ています。


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